ピナ・バウシュの言葉が届くとき

今年から手紙を書くことにした。

SNSでもFBのメッセンジャーでもLINEでも用件は簡単に伝わるけど、

手紙を書きたいと思う人に対しては用件だけに収まらない手紙を、文章を書きたいと思う。

 

手紙は書いてから俯瞰で読んで推敲することができないから、

熱っぽさがそのまま伝わる。

どうしても若干熱苦しい文章になって恥ずかしい。

 

でもその熱はたった1人に向けられたもの。

世界でたった1人に向けた書くもの。

手紙は特別なものだと思う。

 

1月頭に、例によって熱苦しい文章を書いて後から結構恥ずかしくもなった手紙を出した。

とてもお世話になっている女優さん。

先日お返事がポストに届いた。とても嬉しい。

 

手紙を書きたい、と思い立つ関係はどこか不思議なものがあるのか、

偶然同じような状況(私などとレベルは違えど) にあることがわかって嬉しかった。

 

手紙の最後に私も大好きなダンサー、ピナ・バウシュの言葉を添えてくれた。

 

私の関心は人がどう動くのかではなく 何が人を動かすのか

 

ピナ・バウシュを好きな人に悪い人はいない、

少なくとも私の周りには、私は勝手にそう思っている。

 

どうしてだろうと考える。

きっと、そこに「切実さ」があるからじゃないかと思う。

 

ピナ・バウシュのダンスには、人間としてのもどかしさ・恥ずかしさ・どうしようもなさ・弱さ...それでも生きている人間の「切実さ」が表れている。

それは全て「体の動き」で表現されているが、はっきりと、言葉よりもはっきりと伝わってくる。

 

ピナ・バウシュが好きな人は、生きていることの弱さとか情けなさとかと向き合って、

それでも切実に生きている人たちなんじゃないかと思う。

 

生きる人の切実さが人を動かす。

 

ピナ・バウシュのダンス、大好きな女優さんからの手紙、

ピナ・バウシュの言葉が届くとき、少しづつ前に進んでいける気がする。

 

※写真:Pina Bausch “Cafe Müller”より