つながらないSNS

私はどうやらSNSが嫌いらしい。

約10年くらいどっぷりと試してみてやっとわかった。

 

言葉を世界に投げかけて知らない人から返事が来るのも嫌だし、

綺麗に撮れた写真を載せて世界中の人たちと共有するのも嫌ではないけど好きでもない。

 

誰にでも届いたら良いと思わないし、誰にでも好きになってもらわなくても良い。

自分もそうだし、そういう感じの人たちも好きだ。

木のおもちゃもオーガニックもハロプロも「わかる人にだけわかれば良い」感が強い。

お金のこととか考えたら、ビジネスとしてはいかがなものかとも思うけど嫌いじゃない。

 

なので、

こんな謎のブログを作ってみたのでした。

 

インスタっぽい感じで、ツイッターよりちょっと長いくらいの文章で、1日1記事(を目標に...)更新される、本みたいに1ページづつめくらないといけないブログ、私なりの「つながらないSNS」です。

瓶に手紙を入れて投げるような、インターネットの世界にあてどなく流します。

 

自分のためでもあるし、ツイッターみたいに人の思ってること少し覗きたいな、みたいな人に見てもらっても良いし、見てもらわなくても良いです。

この調子で、つながらないSNS続けてみようと思います。

 

届いたら嬉しいけど、届くことを望むわけでもない。

「好きチャンス」

苦手だなあ・好きではないなあ、と思うことに出会った時=「好きチャンス」

 

安心するなあ・好きだなあ、と思っていることのことをもっと好きになる機会。

苦手な理由を突き詰めるより、好きな理由を突き詰めること。

 

ビジネスホテル安心するなあ・好きだなあ。

ピナ・バウシュの言葉が届くとき

今年から手紙を書くことにした。

SNSでもFBのメッセンジャーでもLINEでも用件は簡単に伝わるけど、

手紙を書きたいと思う人に対しては用件だけに収まらない手紙を、文章を書きたいと思う。

 

手紙は書いてから俯瞰で読んで推敲することができないから、

熱っぽさがそのまま伝わる。

どうしても若干熱苦しい文章になって恥ずかしい。

 

でもその熱はたった1人に向けられたもの。

世界でたった1人に向けた書くもの。

手紙は特別なものだと思う。

 

1月頭に、例によって熱苦しい文章を書いて後から結構恥ずかしくもなった手紙を出した。

とてもお世話になっている女優さん。

先日お返事がポストに届いた。とても嬉しい。

 

手紙を書きたい、と思い立つ関係はどこか不思議なものがあるのか、

偶然同じような状況(私などとレベルは違えど) にあることがわかって嬉しかった。

 

手紙の最後に私も大好きなダンサー、ピナ・バウシュの言葉を添えてくれた。

 

私の関心は人がどう動くのかではなく 何が人を動かすのか

 

ピナ・バウシュを好きな人に悪い人はいない、

少なくとも私の周りには、私は勝手にそう思っている。

 

どうしてだろうと考える。

きっと、そこに「切実さ」があるからじゃないかと思う。

 

ピナ・バウシュのダンスには、人間としてのもどかしさ・恥ずかしさ・どうしようもなさ・弱さ...それでも生きている人間の「切実さ」が表れている。

それは全て「体の動き」で表現されているが、はっきりと、言葉よりもはっきりと伝わってくる。

 

ピナ・バウシュが好きな人は、生きていることの弱さとか情けなさとかと向き合って、

それでも切実に生きている人たちなんじゃないかと思う。

 

生きる人の切実さが人を動かす。

 

ピナ・バウシュのダンス、大好きな女優さんからの手紙、

ピナ・バウシュの言葉が届くとき、少しづつ前に進んでいける気がする。

 

※写真:Pina Bausch “Cafe Müller”より

やっぱりビジネスライクはフォース

ビジネスライクの関係て人間が生み出した「フォース」だと思う。

知識と防御、金銭のやり取りの上に成り立つ関係。

 

お金のやり取りなければ成り立たない関係なんて、と思うけど、人間の関係性はただ深まればいいわけじゃない。

再び出会わないことが良いことである関係だってある。

 

変なことじゃなくて、病院は治ったらもう行かない方が幸せな人生だ。

 

人間は動物だからどうしても距離の縮んでしまう生き物だ。

だからこれ以上は踏み込まないよ、求めないよという「ビジネスライク」は人類が生み出した生きる知恵でありフォースだな、と思う。

 

もちろんちょっとさみしいけど、でも、だから、ビジネスライクはある。

体重計の魂

1年前に体重計を買った。

絶対に痩せるぞ、と決意してジョギングを始めたりしてその時に買った。

で、無事にダイエットに成功した。

その成功を数字で見せてくれたのは体重計だった。

 

ある程度痩せたから、あまり体重計に乗らなくなった。

確かに電池マークが出ていたのは気づいていた。

でも、あんまり使わないしな、と体重計からの小さなSOSを放っておいてしまっていた。

 

体重計にはメモリー機能があった。

過去の体重や数値を記憶しておいてくれる機能。

私が忘れてしまっても、体重計は過去の思い出を覚えていてくれた。

 

今日体重計に乗った。

一瞬数字が見えてから、画面が消えた。

 

電池切れだ。

適当に見つけた電池に入れ替えた。

 

メモリーが消えた。

 

体重計は事務的に日付と時間を聞いてくる。

私の過去のメモリーは消えていた。

 

体重計、君のメモリーは、記憶は、思い出は、電池とともに消えた。

体重計、君はいるけど、私とのあのダイエットの日々の思い出はもう覚えていないんだね。

 

テーブルの上に4本の電池、捨てられない。

これが君の魂だったのか。

 

いま君の抜け殻だけがいるよ、でも、また新しい思い出を、作るよ。

 

さようなら1人目の体重計。

でもまだちょっと悲しいから、

ごろごろして邪魔だけど、君のバッテリー切れの魂ともう少し一緒にいるね。

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